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波の轟きも身を潜めなさい、風のざわめきも静まりなさい。
首里の王様がおいでになっているのです、その御尊顔を仰ぎ見ましょう。
樟脳の匂ひもまだき箱入りの むすめのごとしけふの
樟脳の香りもまだほのかに漂わせて初々しく、
まるで箱入り娘のようだ、今日初めて飾った雛人形は。
カンフル剤として有名であるが防虫剤としても広く利用されている。3月3日は五節句の一つ上巳。
宮廷での健康と厄除を願った祭礼と同じく宮中で流行した<
今日の雛人形を飾る風習が形作られていったものと考えられている。
山吹の花は七重八重と咲き誇っているのに、実の一つも結ばないのはどうしたことでしょう。
(そんな実を結ばない山吹ではありませんが、お貸しする蓑の一つもなく大変心苦しいことです)
「蓑を借りたいと申し出た来客に山吹の枝を持たせて帰した後、
その真意を問われて詠んだ歌」との旨の説明が詞書にある。
早稲田周辺で鷹狩りをしていた太田道灌が雨に降り込められ、
面影橋の一軒の民家に立ち寄り蓑を借りたいと申し出たとき、応対した少女に
この歌になぞらえて山吹の枝を差し出されたという『山吹の里』の逸話で有名である。
当然「みの」は「実の」と「蓑」の掛詞。
草枕旅ゆく君を人目多み 袖振らずしてあまたくやしも
あなたが遥か遠く旅立っていくというのに、人目が多くて気恥ずかしかったので
袖を振ることも無く別れてしまった。そのことが心残りでならない。
夏目漱石の小説でも有名な「草枕」は「旅」の枕詞。
旅寝の際に草を編んで仮の枕とした等、語源には諸説ある。
東からの風が吹いたなら、その香をおこして私の下まで届けておくれ、梅の花よ。
主人がいないからといって、春が来たのを忘れてはいけないよ。
藤原家との政争に破れ、太宰府の地へ左遷されることとなった菅原道真が、
屋敷を去るに当たって詠んだとされる有名な歌。歌で詠まれた梅の木は、その後主である道真の後を追って
太宰府の地まで飛んでゆき、現在の太宰府天満宮に根を下したと伝えられている (飛梅伝説)。
文献によっては最後の句は「春な忘れそ」となっている (「な〜そ」は禁止を表す成句)。
(西王母が与えたとされる仙桃七顆は) 三千年を経て漸く実をつけたと
伝えられているものなのに、何だってまた ‘
前漢の武帝が不老長寿を願っていた際に、
女仙 西王母 が舞い降りて、三千年に一度実をつける
中国の故事をモチーフとした和歌。「もも」が「桃」と「百」の掛詞となっている。
見渡せば柳桜をこきまぜて みやこぞ春の錦なりける
見渡してみると、 柳の葉の緑と桜の花の紅色が見事に織り混ざっている。
あぁ、京の都こそ春を彩る錦であったのだなぁ。
深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け
深草山の野辺に咲く桜の花よ、もし人の心を持っているのであれば
どうか今年だけは薄墨色に咲いておくれ。
891年1月に逝去した関白藤原基経への追悼歌。
さくら花としのひととせ匂ふとも さても飽かでやこの世尽きなむ
桜の花が春だけでなく一年中ずっと香っていたとしても
どうして飽きることがあろうか、この世が尽きようとも。
日本人の桜への果てなき憧憬を見事に詠んだ歌。
花見ればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける
桜の花を見ると、格段理由等無いのだけれども、心の中が苦しいものだなぁ。
春はもう過ぎ去ってしまうのか。過ぎ行く春を惜しむかの様に
鳥は (悲しげに) 啼き、魚も目に泪を浮かべているようだ。
『おくのほそ道』の〈
(「矢立」とは筆と墨壺を合わせた携帯用筆記具のことで、
それに初めて墨をつけて詠んだ句、
舟に乗って見送りに来てくれた親しい人々と別れ、千住に降り立ったときに芭蕉が詠んだ句である。
桜散る花の所は春ながら 雪ぞふりつゝ消えがてにする
桜の花が散りゆくこの場所は、春にも関わらず雪が降りしきって消えづらくなっているようであるなぁ。
春過ぎて夏来るらし白妙の 衣乾したり天の香具山
春が過ぎ去って夏が訪れたようですね。
天の香具山に真っ白い衣が乾してあるのが見えますもの。
春過ぎて夏来にけらし白たへの 衣干すてふ天の香具山
として収録されている。
「何一つ見えぬ五月の暗闇の中、そなたは今晩立派に武名を上げたことよ」
「黄昏時も過ぎ、人も見分けられない程と思ったので名を名乗っただけでございます」
時の右大臣
今日さへや引く人もなきみ隠れに 生ふるあやめのねのみなかれむ
水に隠れて生える菖蒲は (端午の節句の) 今日でさえ刈り取る人もおらず、
ただ根ばかりが流れるのでしょう。
そして私もひっそりと身を隠して、分別も弁えず音を立てて泣きましょう。
蛍兵部卿宮から
語り手に ことなることなしや (たいしたことありませんね) と酷評された挙げ句、
玉鬘からの返歌も
あらはれていとゞ浅くも見ゆるかな あやめもわかずなかれけるねの
と大変つれないものであった。
古来より菖蒲は端午の節句には欠かすことが出来ない存在であり、
「菖蒲の節句」と称されることもある程である。
「み隠れ」は「水隠れ」と「身隠れ」、「あやめ」は「菖蒲」と「文目 (分別)」、
「ね」は「根」と「音」、「なかれむ」は「流れむ」と「泣かれむ」の掛詞。
忘れ草つみてかえらむ住吉の きしかたの世は思ひ出もなし
住吉の海岸に生えるという忘れ草を摘んで帰ろう。
これまで歩んできた人生に
忘れ草は
「きし」 は「岸」と「
春くれて
春が過ぎ、五月の訪れを待っている間にほととぎすが鳴く。
その初鳴きに思いを馳せよう。山奥深くにある里で。
坂本龍馬は江戸時代末期の土佐藩志士。
大政奉還の成立に尽力し、明治維新に多大な影響を与えたが、
近代日本の幕開けを目の当たりにすることなく近江屋事件で暗殺された。
山口誓子は京都出身の俳人。広大な富士山を背景に、こいのぼりが
悠々と泳ぐ様が目に浮かぶようである。
夏もなほ心はつきぬあぢさゐの よひらの露に月もすみけり
(秋こそ趣き深い季節だと言う歌があるけれど)
夏だってあまりにも情感豊かで精魂尽き果ててしまいましたよ。
紫陽花の四ひらの花の上の露に月の明かりが宿っているのを見ておりましたら。
この歌は、秋の情感深さを謳った古今集 184 読み人知らず
木の間よりもりくる月の影見れば 心づくしの秋は来にけり
をモチーフとして歌われたもの。
かみつ毛の
菩薩様はどうして大和の国 (現在の奈良県) に行かれることなくこの地に
この
「から社」という語を巡っては、「かみ社」の派生で単に神社を表すという説や、
「唐社」「韓社」と漢字を当てて「唐風」「朝鮮風」の神社、即ち異国情緒あふれる神社の景観を示唆しているとする解釈等
諸説が存在し、未だに確定には至っていないようである (ここでは漠然と「お社」と訳すことにした)。
尚、「いかで」は「行かで」(行かないで) と「如何で」(何ゆえ) の掛詞。
みな月のてる日といへど我がやどの 楢の葉かげは涼しかりけり
6月の日が照りつける日ではあるけれど、
我が家の楢の木陰は大変涼しいものだなあ。
あふち咲く
折しも梅雨空を追いやり晴れ間を呼び込んだ風が通過してゆくようだなぁ。
沈鬱な梅雨の束の間の晴れ空に風が吹き過ぎる鮮やかな情景を見事に詠み上げた叙景歌の傑作。
露に濡れる
宮人の夏のよそひの
宮中に使える役人の、夏の装束である二藍の色に
似通った色で咲く様子もまた清々しい紫陽花の花だなぁ。
平安時代には夏の装束の色として好んで用いられていた。詳細は Wikipedia のページを参照のこと。
梅雨の僅かな晴れ間に、夕日があたりを茜色に染めあげたかと思えば、
あっという間に消えてしまった。
高浜虚子はホトトギス派の俳人。
この句には「六月十七日。句謠會。東京、丸ノ内倶樂部別室。」との説明書がついている。
天の川あふぎの風に霧はれて 空すみわたるかささぎの橋
天の川は扇で煽いだ風によって霧がすっかり晴れ渡りましたよ。
ほら、七夕の空は澄み渡って鵲の橋もくっきりと見えますもの。
かきくらし晴れぬ思ひのひまなきに
あめしづくともながれける
薄暗く雲に覆われた空が私の心を千々に乱れさせ、沈んだ心は常に晴れることもなく、
こうして梅雨の雨垂れとともに涙が止め処なく溢れ出すことだなぁ。
久方の星の林の秋かぜの たちぬるみえてたもと涼しも
悠久の星々が林のように広がる中、
秋風が吹き始めたのが感じられて着物の袂が涼しいなぁ。
伊藤左千夫は、万葉集の写実性や所謂「ますらをぶり」を追究した《アララギ》派歌人の中心人物。
助詞「の」の多用等は万葉調の特徴の一つであり、《アララギ》派の和歌観を色濃く反映した典型的な作品とも言えよう。
なお、「ひさかたの (久方の)」は「空」「天」などの枕詞。
我が
あの方が今晩いらして下さるに違いないわ。
笹の根元で蜘蛛が巣を張っているのが、今晩はひと際はっきりと見えるのですもの。
古来中国には蜘蛛を親しい客人の訪問の予兆として捉える風習があった
(そのため「
「小竹が根の (笹が根の)」は「蜘蛛」の枕詞。
(年に1度しか逢うことが赦されていない) 牽牛と織女が今夜逢うのだ。
天の川の渡り瀬に、波よ、決して立ってくれるな。
七夕 (7月7日) の伝承にちなんだ歌。天帝の娘である織女 (織姫) と牽牛 (彦星) は、
年に1度七夕の日にのみ逢瀬を赦されたと伝えられている。
琴座のベガが織女を、鷲座のアルタイルが牽牛を表すとされている (白鳥座のデネブと合わせて「夏の大三角形」と称される)。
彦星に
年に一度しか恋人に逢えないというあの彦星よりも、あなたを思う私の恋心は勝っているのです。
天の川のように二人の間を分け隔てているこの衝立を、今は取り除いて下さいな。
伊勢物語の本段の主人公である二条の后に仕える男が、同じく二条の后付の女に言い寄ったところ、
衝立越しに面会された際に男が詠んだ歌とされている。この歌を機に見事二人は結ばれたとか。
底ふかき池の鏡にむらさきの 色さへかけてにほふ藤なみ
底の深い池の、鏡のように静まり返った水面に
色鮮やかな紫色の藤の花が映りこんで仄かに薫っていることよ。
心なき身にだに月を松島や 秋のもなかの夕ぐれの空
物のあわれを解さない無骨者の我が身でさえ月の出を待ちわびる松島よ。
仲秋の夕暮れの空の下で。
松島は松島湾に浮かぶ260あまりの諸島からなる景勝地。日本三景の一つ。
仏法僧が頻りと囀る中、山はどんどん深くなっていく。
このか細い路を進んでいくのはどことなく躊躇われるのだけれども。
若林牧春は八王子に大変所縁の深い歌人・教育者。北原白秋を師と仰ぐ。
高尾山にはこの歌を記した歌碑が建立されている。
水の
水面に映る花の色の様に、今も尚鮮やかに帝の御影が偲ばれることよ。
時の帝崩御の余韻を淡々と詠みあげた歌。
小野篁は現在の東広島市河内町に生まれたとされる歌人。
淡路島が、やぁ、ふたつ並んでいるね。小豆島が、やぁ、ふたつ並んでいるね。私が立ち寄りたいような島々は。
それなのに、誰が遠くへ連れ去ってしまったのだろう、吉備生まれの妻を。仲良く暮らしていたというのに。
望郷の念に駆られた皇后
吹きみだし
野の草を吹き乱す台風に荒れ狂う明け方の、
黒々と色濃い雲から雨が零れ落ちているなぁ。
野分は現在の台風のこと。この歌では「野を吹き分ける」という原義を活かして、
台風で荒れる明け方のおどろおどろしい様を緊迫感を持って描き出すことに成功している。
秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ
秋風にたなびいている雲の切間から洩れてくる月明りの鮮やかなことよ。
箱根山双子の山も秋深み 明け暮れ風に木の葉散りかふ
箱根二子山の秋も徐々に深まって来て
夜明けや夕暮れに吹く風で木の葉が舞い散っている。
箱根二子山は箱根芦ノ湖畔にある火山で、上二子山と下二子山からなる。
一道晴煙衝碧旻
五峰如削競嶙峋
幾回来往阿蘇路
始見名山面目真
一筋の晴れやかな煙が碧々とした空に立ち昇り、
阿蘇の五岳がまるで空を削るかの如く急峻さを競っている。
この阿蘇の路を幾度訪れたことであろうか。
それでもなお、今日の阿蘇山は、まるで始めて見たかのような真の名山の勇姿を誇っている。
阿蘇山は熊本を代表する活火山。
阿蘇
徳富蘇峰は阿蘇山には特に強い思い入れがあったようである。
けふもまた夕日になりぬ長月の うつりとまらぬ秋のもみぢ葉
今日もまた夕日が射す時刻となった。9月にもなり、色の移り変わりが
留まることを知らぬ秋の紅葉の葉の見事なことよ。
なぐさむる友なき宿の夕暮に あはれは残せ
孤独を慰める友人もなく、一人庵で過ごす夕暮れ時。
そんな私を気の毒に思う気持ちくらいは残していっておくれ。
荻の上葉をなでて過ぎ行く秋風よ。
うつせみの 命を
この儚き命を惜しみ、波に濡れながらも
伊良虞の島の海藻を苅り取っては食べているのだ。
麻續王が伊良虞に流された際に詠んだとされる歌だが、詳細は不明。
伊良虞の地名は、愛知県伊良湖岬または三重県志摩郡神島を指すとされる。
「うつせみの」は「命」の枕詞。
なにごとも行きて祈らむと思ひしに 神な月にもなりにけるかな
どんなことでも神社に行って祈願しようと思いつつ行けないでいるうちに、
いつの間にやら10月になってしまったなぁ。
神無月、即ち10月は土地神が出雲に出ており不在なので、
地元の神社にお参りしても意味がないとされることを逆手に取った歌。
泊高橋に大切な銀の
いつか夜が明けて、また探し出して挿すことが出来るのでしょうか。
泊高橋は、沖縄県那覇市の泊港にある月見の名所の橋。
誤って銀の簪を落とした娘を恋人が慰めて詠んだ歌と伝えられる。
神無月が遥か空の果てから忍び寄って来ている、そんな折りに
まるで眼を覚ますかの如く咲いている花は何ともいとおしいことであろうか
斎藤茂吉も《アララギ》派歌人の中心人物であるが、この歌はおよそ写実主義の茂吉らしくない
感傷的な要素が色濃く出ているということもあり一部では有名な作品である。
それでもなお、「眼ひらく花」といった独特な言葉遣いのセンスや、
「空の果て」からやって来る「神無月」と地上で「眼ひらく花」の対比といった
些細に見えて実に壮大な世界観は矢張り斎藤茂吉ならではのものであると感じさせられよう。
大堰川の岩に打ち寄せる波は高い。筏の船頭よ、岸辺の紅葉の美しさに目を奪われて
ゆめゆめよそ見などしてくれるな。
大井川ふるき流れをたづねきて 嵐の山のもみぢをぞ見る
(数々の天皇上皇も訪れたと言う) この由緒ある大堰川の流れを訪ねて来て、
風に乱れ散る嵐山の紅葉の葉を眺めていることだなぁ。
小林一茶は江戸時代の俳人。小動物やこどもをモチーフとした
庶民的で親しみやすい句風で知られている。ちなみにこの句で
詠まれている「南瓜」はニホンカボチャであり、
ハロウィンで飾られるヘポカボチャとは別の品種である。
金色のちひさき鳥のかたちして 銀杏散るなり岡の夕日に
銀杏の葉が黄金色の小さな鳥の形をして、 夕日の映える岡に散っていくなぁ。
萬珠濺沫碎秋暉
仰視懸泉劃翠微
山風作意爭氣勢
横吹紅葉満前飛
幾万の宝珠のような水飛沫がふりかかり、秋の陽光に砕け散る。
仰ぎ見ると、懸泉 (滝) が緑の山々に対峙して悠々と
山風は
横から赤く染まった紅葉を吹いて目の前に飛ばしている。
作者 頼山陽が母静子を連れて大阪は箕面の滝に観光に訪れた際に詠まれた七言絶句。
夕されば萩をみなへしなびかして やさしの野べの風のけしきや
夕暮れ時にもなると、萩や女郎花を靡かせて吹き寄せる
野原の風、その様子のなんとも優美なことであろうか。
萩、女郎花は共に秋の七草に数えられ、和歌の題材として好んで用いられた。
つれもなき人もあはれといひてまし 恋するほどを知らせだにせば
どんなに薄情な人だってきっと「かわいそうだ」と言って下さったことでしょうに。
私がこんなにも恋い焦がれることを伝えさえしていたら。
霜月に霜の降るこそ
「霜月」に霜が降りるっていうのはそれこそ道理だけどさ、
どうしたって十月に「じう」は降らないでしょうよ。
『正徹物語』に依ると、家隆が幼少期に詠んだ歌で、これを聞いた後鳥羽院がいたく感心したと伝えられる。
(
『新撰狂歌集』では藤原定家の作とされており、それに対する父俊成の返歌とされる
十月に
も有名である。言葉への思い入れが感じられる作品。
貴方に逢えなくて、涙の海に浮かんでいるような私の身にとって
不死の妙薬など一体何の役に立つというのでしょうか。
物語の終盤で、月へと還っていったかぐや姫を焦がれて帝が詠んだ歌。
帝はこの後、使者に命じて「最も天に近い山」にてかぐや姫から渡された不死の薬を燃やしてしまう。
このことから「富士山 (不死山)」の名が付けられたとの言い伝えを告げて物語は終わる。
なお「(逢ふ事も)なみだ」は「逢ふ事も無(し)」と「涙」の掛詞。
ひととせははかなき夢の心地して 暮れぬるけふぞ驚かれぬる
一年は儚い夢のような心地がして (夢見心地のうちに今日まで過ごしてきたけれど)、
今年一年が暮れていってしまう今日 (大晦日) になって漸くはっと気づかされたものだなぁ。
新しき年の光にむかふかな しはすの月のあり明の空
師走の月を残して明けてゆく空は、新年の光へと向かっているのだなぁ。
「シロカニペ ランラン ピシカン、 コンカニペ
ランラン ピシカン。」
アリアン レクポ チキ カネ
ペッエソロ サパシ アイネ、
アイヌコタン エンカシケ
チクシ コロ シチョロポクン インカラシ コ
テータ ウェンクル タネ ニシパ ネ、 テータ ニシパ
タネ ウェンクル ネ コトム シラン。
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です。
カムイ・ユーカラはアイヌの間で口承されて来た神々の視点で詠われる叙事詩。
本作は
この節に続いて
なお、口語訳は 知里幸惠 (ワイド版岩波文庫) のものを引用した。
クリスマスに 小さき會堂の あはれなる
クリスマスに
正岡子規は明治時代の歌人・俳人。目に写る情景をそのまま句や歌として詠む
写生・写実的な作風 (西洋絵画の影響も受けていると思われる) は、
近代俳句・短歌の発展に多大な影響を及ぼした。
西洋文化への造詣も非常に深く、「クリスマス」という単語を季語として
いち早く取り入れたのも子規である。
数え切れぬほどの雲が
我が妻を籠もらせるために、宮殿にも八重垣を作っているよ、そう八重垣を。
日本最古の和歌と称される。
彼等の末娘の
須佐之男命は櫛名田比売との結婚を条件に八俣遠呂智退治を請け負い、見事成功した。その後、櫛名田比売と
暮らす場所を求めて出雲の須賀の地に赴いた須佐之男命が詠んだ歌とされている。
「八雲立つ」は「出雲」の枕詞であり、数限りない雲が立ち昇る様を表すと言われている。
今年一年が過ぎ去ってゆくなぁ。
さくら川には塵屑が流れていくけれど。
与謝蕪村は江戸時代の俳人・画家で、風景を詠む句に長けていた。
川を流れる塵芥に、色々なことが起こりつつも過ぎ去ってゆく1年を重ねたのだろうか。
新年の始め、新春の今日降り積もる雪のように、
今年も良い事が積み重なっていって欲しいものだ。
新年の祝いに良く引用される歌。
峰の雪もまだふる年の空ながら かたへかすめる春のかよひ路
峰の雪もまだ降り続き、昨年と変わらない空模様でありつつも片側は霞がかっている。
そこが春の通り道なのだ。
夏から秋への季節の変わり目を詠んだ 古今集 168 凡河内躬恒
夏と秋と行きかふ空のかよひ路は かたへすずしき風やふくらむ
の本歌取り。なお「ふる年」は「(雪が) 降る」と「
月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして
月は (昔のままの) 月ではないのか。春は昔のままの春ではないとでもいうのであろうか。
ただ私ひとりばかりが変らぬこの身を携えているというのに。
伊勢物語 第四段 によると、二条の
逢瀬を繰り返した邸宅にて高子を恋しがる在原業平の心境を詠んだ歌とのこと。
あら玉の年の明けゆく山かづら
新しい年が明けゆく。山の
「あら玉の」は「年」の枕詞であると同時に、ここでは文字通り「新しい (年)」の意を表す。
「山かづら」は、古来より神事の際の髪飾り (
みづうみの氷は解けてなほ寒し 三日月の影波にうつろふ
湖の氷は解けたが寒さは依然として厳しい。
冴え冴えとした三日月の影が波間に漂っている。
ハイクンテレケ ハイコシテムトリ
モシレサニ カムイエサニ タプカシケ
チエホラリ オカヤシ。
シネアント タ ソイタ ソイネアシ インカラシ アワ、
ピルカ ネト ネトクルカシ テシナタラ、 アツイショ カタ
オキキリムイ シュプンラムカ サマユンクル
レパ クシュ レスシュ ワ パエ コロカイ。
シルキ チキ
チコリ ウェンプリ ウンコサンコサン。
ハイクンテレケ ハイコシテムトリ
国の岬,神の岬の上に
私は坐して居りました.
ある日に外へ出て見ますと
海は
オキキリムイとシュプンラムカとサマユンクルが
海猟に三人乗りで出かけています,それを見た私は
私の持ってる悪い心がむらむらと出て来ました.
オキキリムイは アイヌラックル、オキクルミなどとも呼ばれる
アイヌ伝承の創世神話における英雄神で、アイヌ民族の祖とされる。
シュプンラムカ、サマユンクルはオキキリムイに随行する神であり、
オキキリムイの従兄弟である、兄弟であるなど諸説ある。
暴風の魔を呼び起こして、3名の神の行く手を邪魔をする狐がどうなるのか、是非自分の目で確かめられたい。
口語訳は 知里幸惠 (ワイド版岩波文庫) のものを引用した。
立ちよりし袖にうつれる梅が香は 木のもととほく過ぎてこそ知れ
立ち寄った際に袖に移った梅の香は、
梅の木のもとを遠く過ぎ去ってからふと気づかされたものだなぁ。
ももしきの大宮人をきゝつぎて 鬼おふほどに夜は成にけり
殿上人の (鬼を追う) 声を次々と聞きつけて、
鬼を追い払っているうちに夜になってしまったのだなぁ。
節分に欠かせない「
なお「ももしきの (百敷の)」は「大宮」(宮廷) の枕詞。
昔より今に渡りくる黒船、縁が
昔から今に至るまで渡来し続ける黒船も、海の縁が尽きてしまうと鮫の餌、
海の藻屑と成り果てましょう。あぁ、聖母マリア。
古来より南蛮貿易の盛んな異国情緒漂う長崎に伝わる三味線歌謡。『松の葉』所収。
北原白秋『邪宗門』冒頭部や竹久夢二『三味線草』にも引用されている。
なお,『松の葉』刊行は1697年 (元禄10年) とされており,少なくとも長崎では
ふる雪にまきの
雪が降っているので、薪を切り出す杣山も人気が絶えてしまった。
(いつもなら聞こえて来る) 斧の響きも、今朝に限っては聞こえやしない。
雪に降り籠められた杣山のひっそりとした情景を詠んだ歌。
今年の大雪は凄まじいものがありましたね。
朝ぼらけ
夜がほのぼのと明ける朝頃、まだ空に月が残っているかと思われるほどに
吉野の里には白々と雪が降っていることだなぁ。
坂上是則は三十六歌仙の一人。雪原の美しさを詠んだこの歌は、小倉百人一首の第三十一首としても有名。
きさらぎの
2月の空のまばゆい光の中、飛行船がニコライ堂の上空を進んでゆくことだなぁ。
斎藤茂吉 は大正・昭和時代の歌人でアララギ派の中心人物の一人。
ニコライ堂 の上空を進む飛行船という異国情緒溢れる世界が見事に描き出されている。