「情報と社会」参考資料

「ソフト技術者はなぜ倒れたか」
祢津加奈子、にっかん書房、1990/8/20

October 14, 1990
報告:藤本一男

    2002年11月28日(金曜日)

    講義Web:http://edu.tsuda.ac.jp/~fujimoto
    質問メール:fujimoto@tsuda.ac.jp

はじめに

はじめて本書を手にして、目次の「できる奴ほど…」を見てすぐに読む気になった。なぜなら、このフレーズは現場では当り前のように吐かれていた言葉であって、これを目次に配置するというのは、相当内部に踏み込んでいると考えられたからである。

構成

1は、導入。2で、テクノストレスという概念について検討し、このあいまいなものに対して、「電子病」というものを対置する。そして、発生しているのものは、「ノルマストレス」として把握すべきだ、という提起がされる。3では、そのノルマストレスを起こさせる業界の現状に切り込む。4では、コンピュータ先進国アメリカのそれもシリコンバレーで起こっていることを調べて、日本での事態と比較する。5では、日本人の働き過ぎの象徴的事態である「過労死」をあつかう。6では、再度、コンピュータ関連労働のもつ特質に注目し、整理する。

1. 心の病であふれる健康管理室
2. 医師達の見た電子病患者
3. できる奴ほどつぶされる
4. シリコンバレーの夢と苦悩
5. 待ち受ける「過労死」地獄
6. コンピュータの魔性

第一章「心の病であふれる健康管理室」

この章は、導入にあたっており、「木沢サワ」という保健婦の目をとおして、ソフト技術者のストレスの現状が説明されている。具体的な事例は、書いてあるものを読めばわかるので、それ以外の部分についてコメントする。

1. 「ソフトウェアを開発する技術者に、ストレスによって倒れる者が多発しているといわれ出したのは、ここ三、四年のことである。」(P7)

本文にもあるように、1980年はコンピュータ元年とよばれるのであるが、もうひとる重要な点に注目するならば、85年は日本語元年といえる。今からは想像もつかないが、それ以前は、日本語といっても、あの半角のカタカナの世界だったのである。それが、 「一太郎」の成功をメルクマールとして日本語が実用になる。それ以降、文字どおりコンピュータが日本人の生活に入りこんでくるのである。

このことは、「わずか一五年で、三〇倍近い成長である。」とあるように、市場の急激な拡大をもたらしたが、それをささえたソフトウェア労働者への矛盾のしわよせとして、「ここ三、四年」から現われてきたということである。

 
2. 「労働組合とテクノストレス」P8

労働条件の問題なので、労働組合に問題があがってきてもいい、ものである。しかし、P9にあるように、ソフト業界は従業員五〇人以下の企業40%をしめているので、ほとんど労組に組織されていない状態である。
また、コンピュータ労働の問題点としては、P8にも事例が紹介されているが、VDT(ビデオ・ディスプレイ・ターミナル)による諸障害などがせいぜいであって、本書のなかでふれられているような「ストレス」については、殆ど意識されていなかったようである。というのも、70年代末のコンピュータ端末使用者は、極小数のシステムエンジニアか、入力専門のオペレータに限られていて、この後者が女性によってしめらていたことから、VDTによる異常出産の問題を中心に論じられていたのである。ソフト技術者のストレスと比べると、「肉体的」疲労の範疇になるように思われる。
 

3. 「明るく元気な新入社員も半年もたつと若さが失せていった。若い彼らがなぜこれほど神経も体もズタズタに疲れはてていくのだろうか。」(P13)……(フゥ)

4. 「グループセラピー」(P19)

この分野のついては、小川憲治「コンピュータ人間 その病理と克服」に詳しい。

5. 「ストレス病ゼロの電鉄会社」???

サワさんの経験を通じて、コンピュータ業界が電鉄業界と比較されているが、この例の出し方は、いささか乱暴ではないだろうか。電鉄会社と比較して、「この病気の差は労働条件の違いだけが、原因なのだろうか。」(P26)と語っている。
さきどりして言えば、著者は、「テクノストレス」は、「ノルマストレス」であるという視点をもっており、そうであれば、これは「労働条件」の問題となる。しかし、同時に著者は、コンピュータ労働に特有の要素も見いだしているのである。
比較された電鉄会社は、「郊外の」となっているから、比較的労働がらくだったのだろうか。

第二章「医師達の見た電子病患者」

 ここで、「テクノストレス」という概念が整理され、「電子病」 「ノルマストレス」という規定を与えられる。

1. テクノストレスとは

2. 野田教授の「コンピュータ新人類の研究」

ブロードの定義のあいまいさ、そして、日本では「ソフト技術者にテクノ依存症が多いという仮説。
日本での実態にアプローチした(P33)。そして、「人間関係を作るのが苦手で、感情表現がへたな彼らの姿を浮き彫りにしてみせた。」

1) コンピュータ不安の世代:現在の40代。
2) 第一世代:30代。社会にでると同時にコンピュータにであった。
3) 第二世代:77年から79年にかけて、高校生から大学生であった世代

1) 体を動かして汗を流すことの心地よさや外遊びで友人と感情を分かち会う喜びを充分に経験していない。
2) 室内遊びや読書を好む。

絵本や童話の世界からコンピュータの専門書への移行。現実と創造力の世界のつながりを学習する時期を逸してしまった。

1) はやくからコンピュータの特殊なマニア的世界に没入。
2) 友人との関係で自我を確立:これを逃す。

3. 都立労働研究所の調査
 1987年に実施。「コンピュータとストレスに関するアンケート調査では唯一のものといってよい。」(P36)

4. 「電子病」と命名して問題をさぐる

a) 「コンピュータマニアというわけでもなく、職業としてコンピュータと濃厚な付き合いかたをしている技術者の問題」を追う。(P37)
b) 技術者になぜ精神的な病気やストレスが多いのか

5. コンピュータ系技術者の傾向

 千代田診療所(杉本東一)、原診療所(唐木正敏)、関谷神経科クリニック(関谷透)での事例

a) 自律神経失調症
 食欲がない、胃が重い、寝つきが悪い、不眠症、イライラ、だるい、熱っぽい、のぼせる、下痢
b) 迷路症候群
 なにかを考えようととしても、ある時点にくるとパッタリ脳にロックがかかったように、頭が働かなくなる状態をいう。(P41)
c) テクノ不安症
d) 会話しない

6. 電子病におちいる原因、共通のものはあるか

a) 「上昇意欲が強く、出世コースに乗ったエリートが多い」(唐木)

1) 既婚者二人の事例
a> 技術革新の不安から電子病におちいる。(P45)
b> 話相手のいないさみしさから。

2) 「真面目で仕事熱心、会社では有能でバリバリ仕事をこなすタイプ」「執着気質とか強迫傾向などといわれ、責任旺盛でまるでなにか
におわれるように夢中で仕事をする」タイプ(P46)

3) タイプA:時間におわれてバリバリ仕事をこなし、歩くのも早ければしゃべるのも速い。競争意識が強く、ガッツも旺盛。

4) タイプB:いつもゆっくりとマイペースではた目にはノンビリ屋に見える。
5) 電子病にもタイプA的傾向があるということ。では、なにもコンピュータ業界に限ったことではないではないか。
6) タイプAの人間がコンピュータ業界にはあつまりやすい。(P47)
7) 技術者向きの性格がソフトの仕事をしていくなかでより増幅される。

7. 業界が技術者をダメにする

a) 「しかし、いちばん問題なのは、業界にあつまるに人間の問題」(鴨下一郎)P50 ???
b) 「神経質で几帳面に仕事をするが、ちょっと困ったことがあると他人に頼る未熟さも持ち合わせる。」(P51)
c) 業界の過酷な体質が問題(P54)

第三章「できる奴ほどつぶされる」

前章の終わりのところで言及された「業界の過酷さ」が報告されている。この問題を掘り下げる。

1. 業界に共通した強いストレス原因があるのではないか
2. 残業、休日出勤というこの業界の異常な働きかた。
 日経コンピュータ(だと思った)に残業のアンケートがのっていたのがあった。
3. 納期と仕様変更で始まる残業地獄
a) 発注側がよくわかっていない。
b) 受ける側での見積のあまさ
4. 合理的な機械に対して、日本的な「あいまい」な仕事の受け方をしている。
5. P81「これまでと違う仕事のすすめかたが必要であるにもかかわらず、従来と同じ働き方をしている点に問題がある。」
6. P94 テクノ依存症は、仕事にやりがいを感じていない人や職場の人間関係が悪い人に多い。人間がコンピュータほどに動いてくれないから人間関係が煩わしくなるのではなく、職場の人間関係がうまくいっていないからコンピュータに逃げ込む。」
「ここでは、コンピュータによって人格が変わるというテクノストレス説は、否定された恰好だ。」
7. 結局労働量の問題。「ノルマストレス」である。環境問題ならば、解決可能である。
8. 労働倫理の問題
a) 業界の体質の問題にだけはできない
b) 長時間労働を許しているのも、また技術者である
c) 労働の滅私奉公的な働き方
9. 日本人の労働意識は変わるものではないようだ。
10. NOTE:
a) 小川氏は、ブロードの「テクノストレス」概念に対して、「テクノ疎外感」を対置している。(P34、小川)

第四章「シリコンバレーの夢と苦悩」

 この章では、シリコンバレーでの現状をみて、日本の労働と比較する。コンピュータをそだてた生活環境や文化の違いがどこかでかかわっていないか。

1. 組立式の壁と天井で仕切られたオフィス
  仕事中毒、成り上がるためならなんでもする:成功と富への執着
2. 離婚率50%のハイテク都市
a) 賭博都市に次ぐストレス地帯
b) 技術者にコンピュータへのめりこむ傾向がある。
  1) 高い離婚率(アメリカ平均は30%)
  2) では、日本では??:妻の忍従−>離婚の増加
3. フレックスタイムは常識
  a) コアタイムの設定。どうも腰がぬけている。:日本
  b) まったくフレキシブル:アメリカ
  c) 個人主義の労働形態
  d) 文書で確認する:契約社会
4. 細分化された専門領域
  a) 個人の能力を自由に発揮できる環境を整える。個人の責任で仕事をしないさい:アメリカ
  b) 企業が無理やり脳の管理をおこなおうとしている。:日本
5. 年間30%の転職率
  a) 熾烈な開発競争
  b) 契約という世界
6. コンピュータがもたらす能力主義
  a) この文化の中で誕生したのがコンピュータ(P125)
  b) コンピュータによって仕事の上では、能力主義が持ち込まれていながら、それをコントロールする術がないために混乱をきたしているのが、ソフト業界ではないか。(cf.「マンション」という文化 )
7. 【検討】
  a) 文書についての文化の相違:契約社会で要求される論理力。ここから生まれたドクメンテーションの伝統の違いを背景にした能力主義の世界があるのではないか。

  b) 個人として最大限の能力を発揮することと、同時に、組織員としての義務、たとえば、初心者の相談にのる、つきあう、をこなさなければならないのが、日本の技術者。後者をおこたると、いくら技術が優秀でも、組織にいることができない。このへんにも「できる奴ほど…」となるからくりが潜んでいる。

第五章「待ち受ける「過労死」地獄」

1. この業界で、もっとも先鋭的に日本がかかえる矛盾が表面化している。

a) 日本の現状:会社が大事、同僚に迷惑をかける。−>自分流の生き方ができない。
b) ソフト開発仕事:アメリカ的な実力主義が必要。しかし、働き方は、滅私奉公。
c) こうした「労働の美学」があるかぎり、根本的な解決はない。

2. 問題点
 紹介されている事例のなかから、問題点を列挙すると以下のようになる。

a) 遺族が事実関係を調べ、労災であることを立証しなくてはならない。
b) 労災認定の基準が厳しい
c) 労働組合があてにならない
d) 夫の(あるいは妻や子供の)働きかたを異常だと感じる感覚が、日本人全体にマヒしている。
e) 長年つとめた会社と事をかまえたくない。

3. ソフト業界の長時間労働もまた、過労死を作り出す同じ土壌のなかから生まれている。

4. 【新聞記事リスト】参照

第六章「コンピュータの魔性」

 これまでの章で、ストレスの原因は、働き過ぎにある、という展開がされてきた。これを踏まえた上で、「だが、やはり気になるのは、コンピュータそのものとの付き合いの中に電子病を促進する要素はないのか」と問いかける。

1. 失われる現実の手ごたえ
  a) 手足ではなく脳の働きを代償する機械、としてのコンピュータ
  b) 「手触り感覚」の欠如
  c) できたものを手の中でいつくしむような感覚の満足がない。
  d) 「コンピュータに確かな手触りとして実感できる手ごたえがない。 」P186
e) コンピュータのもつ不透明さのもつ、より現実的な恐怖
  1) 原子炉事故、戦闘機の機能のシュミレーション
  2) 技術者は、ソフトを開発するだけでなく、その結果まで考えるべきだ。
2. 崩壊する上下関係
  a) 現場をはなれるとなにもわからなくなる。
  b) 経験といっても古い経験は、役にたたない。
  c) 見積のときの軋轢もおおきい。
3. コンピュータ言語と脳のはざま
  a) 人間の思考との相違
  b) 技術者の「脳の管理」がおこなわれようとしている。

【まとめと評価の視点】


1. 「テクノストレス」概念と「ノルマストレス」「電子病」の対比
  a) これと、小川「テクノ疎外感」の比較
  b) マルクス「経哲草稿」における疎外概念の検討
  c) モダンタイムス型労働での疎外と、全身労働での疎外
   1) 単純労働の中で、「働く喜び」が失われる
   2) 「働く喜び」は、「本人のやる気」から生まれる
   3) 本人の「やる気」の引出し、で日本型経営が評価されている。
   4) ハドメのない「やる気」の組織化
   5) しかし、ここで、労働者は「すべて」をだしつくすことを要求される。
   6) その結果、発生する事態は、「過労死」である。
2. 日本人の労働観の問題
  a) ヴェーバ「プロ倫」での「伝統意識」と「資本主義精神」の対比(P65、岩波文庫)
  b) 「自己犠牲の精神」と「保障の黙約」:神島二郎、「近代日本の精神構造」p66、での議論
3. 小川憲治氏の分析方法の検討
  a) 疎外論
  b) 現象学的心理学
  c) 「テクノ・アメニティ」
 「テクノストレス」の対立概念。「テクノ・アメニティと人間関係 − 現象学的臨床心理学の立場から」、小川憲治、立教大学社会学研究室応用社会学研究No.32、1990/03
4. 現象学の限界に関する検討
「現象学的社会学の諸前提−フッサール、シュッツ、ガーフィンケルを視軸にして−」、小川英司、『社会学史研究』、1988、第十号
5. ミードの「接触経験」
 『1927年社会心理学講義』p61