メディア・ジャミング8
えんげきとかアートとか
〜繋いだ先に何があるか〜
日 程
講 師
形 式
会 場
対 象
6/24(金) 16:30〜18:00
吉野 さつき さん(ワークショップコーディネーター) 柏木 陽 さん(演劇百科店代表/演劇家)
一般公開
津田塾大学 小平キャンパス H202(コラボラティブ・ラボ)
学生・一般
 
講師プロフィール
吉野 さつき
ワークショップコーディネーター
<プロフィール>
1997年より4年間公共ホール文化事業の企画運営に携わり、平田オリザや野村萬斎によるワークショップ企画などを手がける。
平成13年度文化庁派遣芸術家在外研修員として、英国で演劇のアウトリーチやエデュケーションプログラムの研修と調査を実施。
教育、福祉、ビジネスなどの現場でアーティストによるワークショップをコーディネートする他、青山学院大学でワークショップデザイナーの育成、エイブル・アート・ジャパンによる障害者とのプロジェクト、東日本大震災のアートによる被災地支援プロジェクトなどにも関わっている。

柏木 陽
演劇百科店代表/演劇家
<プロフィール>
1993年、演劇集団「NOISE」に参加し、劇作家・演出家の故・如月小春とともに活動。
2003年にNPO法人演劇百貨店を設立し、代表理事に就任。
全国各地の劇場・児童館・美術館・学校などで、子どもたちとともに独自の演劇空間を作り出している。
近年の主な仕事に、兵庫県立こどもの館での中高生との野外移動劇創作、世田谷美術館の中高生向けワークショップ「誰もいない美術館で」の進行など多数。青山学院女子短期大学、大月短期大学、和光大学等で講師もつとめる。
関連イベント

5/2(月)〜6/3(金)
ソーシャル・メディア・センター活動展示
「ソーシャル・メディア・センターってなに?」
会場:津田塾大学小平キャンパス7号館ラウンジ
詳しくはこちら

メディア・ジャミング
Media Jamming とは?
津田塾大学のソーシャル・メディア・センターが、様々な社会的支援を必要とする「ニーズあるコミュニティ(communities in need)や、表現をめぐる団体・個人が一緒に、企画から運営までを行うプロジェクトです。異なるジャンルの表現者やコミュニティが、多様な表現方法を使ってジャミング(セッション)を行うことで、社会的課題や解決方法を具体的に考え、語りあい、新たな関係性を模索することを目指します。スタイルや方法は毎回異なりますが、講演者/聴衆という固定された立場ではなく、参加者自らが能動的に参加できるワークショップ形式を取り入れます。基本的に一般公開ですが、テーマによっては特定のコミュニティに限定することもあり、ワークショップの「デリバリー(出前)」を行うこともあります。
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DATE:2011.6.24
講演概要
 今回は、柏木陽さんと吉野さつきさんをゲストにお迎えし、「演劇とかアートとか」と題し、対談していただきました。お二人は当センターが取り組んでいるプロジェクト「メディア4Youth」に演劇家とワークショップコーディネーターとして関わっていただいています。前半はお二人の掛け合いのような軽快なトークが中心で、後半は参加者の質問に答えていくという形で進みました。まずは1分間自己紹介から始まりました。
1.前半 柏木さんと吉野さんのトーク内容
柏木
 NPO法人演劇百貨店という世田谷区に拠点を置いている団体の代表で、劇場、美術館、児童館などで演劇を作る活動をしています。いわゆる脚本を使った従来の演劇づくりとは異なる形の演劇を作っています。

吉野
 アートマネージメントという仕事をしており、そのアートマネージメントという領域に含まれるワークショップコーディネーターの仕事もしています。アートマネージメントという仕事は、舞台、芝居、ダンス、音楽、オーケストラなどの芸術関係の運営、アートを軸にしながらのまちづくりやプロジェクトの企画・制作などを行います。
Q ワークショップってなに?
吉野
 ワークショップは、最近は教育、アート、街づくりなどさまざまな領域で行われるようになっています。いわゆる「講座型」ではなく、グループを構成する参加者みんながお互いに対等に関わり、積極的にある課題に取り組んだり、解決したりすることに特徴がある「参加型」活動です。
Q 演劇ってなに?
柏木
 演劇をしましょうと言って集まってくる人はたいてい演劇のイメージがある程度できあがっています。例えば「宝塚歌劇=演劇」というイメージをもっている人は、僕の作る演劇を演劇ではないと考えます。  僕の作っている演劇は、民俗学者、宮本常一の言う「文化」の捉え方と共通する点があることに最近気づきました。宮本常一は、箸の上げ下ろし、料理の作り方など生きていくやりかたを「文化」と呼んでいます。ぼくはそういうのを演劇だと自分で言ってきていると思います。 例えば市政40周年の街に暮らす人たちと、街の演劇を作ってみました。通い慣れた道とよく見た窓からの景色を思い出してもらい、場所の記憶を掘り起こそうとしました。小学校2年生とやってみて面白かったのは、知っている場所の名前を全部書いてもらい、次にその場所についてどうおもっているのかを書いてもらい、発表してもらいました。するとその発表の内容から、6歳児なら6歳児なりに、7歳児なら7歳児なりにその子どもたちの背景が見えてくる。子どもたちの発表を聞いた大人たちは、この子どもたちのために何をこれまでしてこれただろうか、何のためにこの町に住んでいるのだろうかと胸が締め付けられる経験をする。そういうおもしろさを参加者は共有する。演劇が終わったときに「こういう演劇もあるのね。面白かったわ」と言われるとよかったなと思えるし、こういうのが僕の作る演劇です。

吉野
 そもそも人の営みや経済活動と芸能・芸術活動は結びつきが強くてばらばらのことではなかったんです。いわゆるアートです的なものの捉え方が出てきたのは、近代の芸術家にパトロンがついて絵などの作品そのものが取引されるようになったころからで、アートと人の営みに線引きがされるようになっていきました。アートは本当はもっと近いところにあったのに、今は離れてしまっている。だからワークショップの場を作ったり、参加して何かを作りたい欲求がいろんなところで出てくるのかもしれないと最近思います。
Q 演劇みたいなものやアートみたいな領域で取り組んだワークショップの事例は?
吉野
 横浜にある特別養護老人ホームに入居する老人とアーティストが協働で老人ホームの毎日をテーマに曲作りをするワークショップについて紹介したいと思います。老人は聞かせようとして音を出すわけでなく、でもこういう音を出したいという意思はあっていろんな音を出してくれます。そしてある瞬間におもしろいメロディやはっとさせるフレーズが出てきます。アーティストはその音と共演していきます。 その様子をビデオカメラで撮影し、撮りためた映像を編集して、映像作曲と言う手法を使って、現代音楽の作曲家の野村誠さんが曲を作りました。横浜でコンサートを行うことになり、会場では、製作した映像をプロジェクターで映しながら、映像作曲された曲にピアノの生演奏が加わる形でセッションするというライブコンサートになりました。
2.後半
 参加者の質問に答えていただきました。
Q 表現が苦手な子どもとどういうふうに接していますか?
柏木
 まず大前提として、意図した表現をしない子どもにどう接するべきかという話のような気がします。 例えばやりたくないと言う子、やってみてと言っときにしないということそれ自体十分に表現ですね。そのことをこちらが読みとっていく、引き受けていくことはすごく大事だと思います。こちらが意図したタイミングで意図した表現をしないことは当たり前のことだという認識をもつほうがいいと思っていて、そうしない子がいて、まず最初にその状況にいっしょにいてあげるというか、認めるということが大事かなと思います。
 「メディア4Youth」でカメラで写真を撮るワークショップをしたときに参加してくれたある女の子は、最初やだー!としか言わなかった。そして大切に自分でつかまえただんご虫を箱にいれてもったまま、写真を撮りに行きたがらなかったんです。
 その子の様子を見ていてそうだよなと思いました。いきなり連れてこられてあれやれこれやれと言われても嫌だよなと。そこで僕はその子に「虫を取っておいで。いくらでも好きなだけ虫を取ってきたらいいよ。でも一人で行くと心配だから、このお姉ちゃんと一緒に行こうか」と言ったときに、いいよとうなずいてくれた。津田塾大のボランティアの学生はその時「ねえ、カメラも持っていく?」と女の子にタイミング良く聞いたんです。するとその女の子はうんとうなずいた。結果、その子はあんなに嫌がっていたカメラを使ってえんえんと写真を撮り続けていました。
 彼女の表現は最初は「嫌だ」だったんですね。でも寄り添っていくと、その次に少し譲歩してくれたんですね。
Q 二人にとって今している仕事の目標は?
柏木
 仕事の目的・意図を個人的なところで言うと、僕の演劇を見つけたい。もう少し公のところで言うと、僕は僕の演劇を作る。そこに参加することでほんの少しだけでも息をつける人がでてくる。そういう変化が少しでもあれば、演劇を作るという僕の行為にも意味があるのかなと思います。

吉野
個人的な目標としては、先ほどワークショップの例としてお話しました老人ホームのプロジェクトのように、老人のしわくちゃな手とアーティストの若い手が奏でる音楽を聞けることはなんて贅沢なんだろうと思います。そういうものに自分が出会いたいからやっている欲求がすごくあります。 でも同時に年老いていくことは必ず自分の身にも起こるだと気づいたときに、私がこのワークショップを通じて感じている考え方や感覚をシェアしている人がたくさんいる社会の方が、私が年をとったときに生きやすいと考えながら仕事をしています。
Acting, Art, or…: What Lies Ahead of Us after We Make a Relation?
Today, we invited Akira Kashiwagi and Satsuki Yoshino as lecturers, and they talked about “Acting, Art, or…” Their talk began with one-minute self- introduction.
One-minute Self-Introducttion
Kashiwagi: I represent the performance group “Theater Department” which is centered in Setagaya City. I am engaged in acting in theaters, museums, and child centers. I am pursuing acting which is different from usual acting, which uses a script.

Yoshino: I am engaged in art management, and especially specialized in workshop coordination. Art management is concerned with the management of theater performances, acting, dancing, music playing, and other artistic activities, or sometimes with the planning and project of city renovation based on art.
What Is Workshop?
Yoshino: Recently workshops have come to be held in various fields such as school education, art courses, and a city renovation. It is not a lecture-style teaching, but offers a place, in which participants relate to each other on an equal footing, grapple with some problem together, or try to solve it.
What Is Acting?
Kashiwagi: People have their own images of acting. Those who consider a Takarazuka play to be authentic acting will say my performance is not acting. What I am doing for acting is close to what Tsuneichi Miyamoto regards as culture. According to Miyamoto, the way people handle chopsticks and the way people cook food are culture, activities which are closely related to people’s life. To me they are both acting.
I participated in the project of making a play for a city, which was celebrating the fortieth anniversary of its founding. I asked the participants to describe the views of the city which were familiar to them. Second graders of an elementary school wrote down the places of the city on a sheet of paper, and they explained what they thought about those places. We were able to see those children’s lives and their background from their explanation. Then their parents and other adults, who had heard the explanation, asked themselves what they had done for the children so far, and what they lived in the city for. They were greatly moved at the end of this activity, reflecting on the exchange of feelings between them and the children. To me, this kind of performance is acting.

Yoshino: Originally art was not separated from man’s life and economic activity. The idea of high art came into existence when patrons began to support artists in the modern age, and their works became objects of trade. Art used to be near our life, but it is apart from us now. Maybe that is why people are having a strong desire to take part in a workshop to create something.
What Kind of Workshop Did We Give?
Yoshino: I’d like to talk about the workshop we held at a nursing home in Yokohama, in which elderly people and an artist collaborated to make a tune about everyday life at the home. Elderly people are not interested in making a work of music, but they have a will to make their own sounds, and at some moment an interesting melody or an unexpected phrase will come out. Then the artist plays the piano along with the notes made by the elderly people. We recorded the scenes of their collaborative work in a video camera, editing the images we had shot, and from them Makoto Nomura, a composer of modern music, composed a piece.
We held a concert in Yokohama. On the stage, we projected the scenes of collaborative playing on a screen, and we played the recorded music composed by Nomura. Then Nomura played the piano ad lib to the recorded images and music. It became quite a unique live concert.
How Do We Treat a Child Who Is Not Very Good at Expressing Himself/Herself at a Workshop for Children?
Kashiwagi: I would like to put the question in this way: How should we treat a child who does not express himself/herself as we expect. For instance, when a child refuses to do what we ask him/her to do, the child is expressing himself/herself in a sense. I think it is very important for us to guess the meaning of his/her behavior like that and accept it. Maybe we should take it for granted that children refuse to do what we tell them. When we have a child like that, we need to stay with him/her, respecting his/her feelings.
In the Media 4 Youth workshop for taking pictures with children, there was a girl, who only said “No!” when urged to go out to take pictures. She carefully held pill bugs, which she caught on the campus, in a box, not showing any interest in taking pictures.
I thought I could understand her feelings. It seemed only natural that she was not quite willing to do the things, which people she was not quite familiar with told her. So I said to her: “OK, you go out to catch pill bugs. You can catch as many bugs as you like. However, will you go with this lady? Otherwise we will be worried about you wandering about the campus alone.” The girl nodded yes, and the volunteer student of Tsuda College said to her, “Shall we take a camera with us?” She nodded yes again, and after this the girl came to have such interest in taking pictures that she spent a long time doing it, even though she had hated a camera so much at first.
The girl’s first expression was “No! ”, but when people respected and kept close to her, she gradually became more agreeable to them.
The Purpose of Our Present Work
Kashiwagi: Personally, the purpose of my work is to find my own acting. More publicly speaking, I hope the people who take part in my theater workshop will feel relieved through their activities. If I can make even a little change for people, I will be able to find meaning in my work of acting.
Yoshino: Personally speaking, in the project for a nursing home I just mentioned, for instance, it seems so nice to be able to hear music played both by elderly people’s wrinkled hands and the artist’s youthful hands. My purpose in doing this is that I strongly wish to have such a happy experience over and over again.
Also, when I think of my coming old age, it seems much easier for me to live in a society where many people share the sense and way of thinking which I am pursuing through giving a theater workshop.